のにゅ論

ベリーズ工房の新曲の「ギャグ100回分愛してください
で議論になっているフレーズがある
「半年も経てば受験生ね
 …ずっと 居たいのに のにゅ。 のにゅ。」
の歌詞の中の「のにゅ」ってなんなんだろうという疑問についてだ
くだらないことをふざけて書いてもつまらない
俺はこれについて真剣に分析してみようと思う
今回、俺は5つの仮説を立ててみた
1、「のに」の変化形説
これが、普通に考えると妥当かもしれない
前フレーズの「ずっと居たいのに」の「のに」の部分を
歌詞としてかわいらしく繰り返しているわけだ
普通に、のに、のにと繰り返すよりもインパクトも強くなる
つんくがよく使う言葉の音の響きを重視した歌詞と思えば違和感はない
しかも、「にゅ」の部分をかなり強調して言っている
「ずっと居たいのに」を強調するための変化とも考えられるだろう
2、「NO NEW」説
つまり、新しくないという意味での「のにゅ」であるという考えだ
この曲は歌詞を読む限り永遠の愛をテーマに歌っている
そう考えると新しくはないということは、新鮮な恋愛感情ではないということだ
付き合ってすぐの話ではなく、それなりの熟成させた恋愛感情であり
そこには信頼感も生まれているはずだ
「のにゅ」の後の歌詞は
「一年なら 我慢 できる
 夢あるなら とことん 目指せ」
つまり、その意味で歌詞は
半年も経てば受験生になる、ずっと一緒に居たいのに勉強で会えなくなるね
でも、1年くらいなら会えなくても我慢できるよ
今まで培っていた信頼関係があるからね
だから、夢に向かって勉強がんばって!
という意味になる
そう考えると「NO NEW」が
今まで培っていた信頼関係があるからねという大きな意味を付け加えるのだ
3、「know knew」説
知っているという意味の英単語とその過去形の知っていたという意味の英単語の羅列である
本来このような動詞の英単語が並ぶことは文法的にはおかしい
しかし、歌の歌詞において文法などはあってないようなものだ
この場合も、前後のフレーズが大事になってくる
つまり、何を知っているのか?何を知っていたのか?ということだ
ここでは、ずっと一緒にいたいという自分の本当の気持ちはわかっている
しかし、受験で半年後には会えなくなるという事実も知っていた
それでも、1年なら会えなくても我慢するわと解釈してみたい
こうすると意外とすんなり理解できる
4、「NO Knew」説
意味としては
知らなかったのに・・・知らなかったのに・・・
つまり、3とは逆の説になる
今まで同様に歌詞に当てはめてみよう
半年後にはあなたは受験するのね
ずっと一緒にいれると思っていたのに・・・知らなかったわ・・・
それでも、1年なら会えなくても我慢するわと解釈できるだろう
3とは逆の意味として使っているが言っていることは同じである
5、「NO乳」説
この説には2つのパターンが考えられる
(1)NO乳説(仮説1)
NO乳とは、簡単に言えばおっぱいがないということだ
おっぱいというのは女性の象徴でもある
つまり、ここではおっぱいがない=胸がまだ膨らみ始める前の少女
を表現していると考える
ふざけているようだが実は奥が深い
この歌は先ほど述べたように永遠の愛を歌っている
最低でも70年は毎日ギャグを100回言い合いできる仲でいようという歌だ
しかし、それは願望でしかない
夢見る少女の発想と言ってもいい
1年も会えなければ浮気をする確率のほうが実際は高い
そんなことを信じているのは本当の恋愛経験の少ない
少女(お子ちゃま)なんだと暗に言っているのだ
(2)NO乳説(仮説2)
もう一つの説は、歌詞とは全く離れて考える
このフレーズを歌っているのは徳永さんだ
彼女は、まだ胸はぺったんこと言ってもいい
つまり、NO乳(乳はない)と言える
しかし、乳がないのは彼女に限ったことではない
ベリーズ工房は小中学生のユニットであり、まだ胸がない子はいっぱいいる
そうゆうユニットが永遠の愛を歌っているんだよというメッセージなのではないだろうか
歌の歌詞でそんなことを言う必要があるだろうか?というつっこみはあるだろうが
それがつんくの遊び心なのだろう


以上、この5つ(実質6つ)の仮説が考えられる
どの説にも一長一短があるようにも見えるが
私は、5の(1)の説を推したい
そう解釈することで味わい深い歌詞になるからだ
歌の解釈は人それぞれだ
この、のにゅ論を参考に自分ならではの解釈を見つけてほしい
おわり