いじめ報道

最近マスコミが得意げにやってるいじめ問題についての報道
その報道がいじめ問題を解決する手段には全くならないのに
なぜあんなに得意げなんだろう
自分たちがすごした学校にはいじめなんて全く無かったとでも言うのだろうか
いじめは人間の本質問題
自分よりも劣るものを作り出したい、そして安心したいという本質にかかわるもの
だから子供にかぎってあるわけじゃないし大人になっても存在する
そんなものをいちいち大々的に騒ぎたてて糾弾する
確かにいじめを苦にして自殺した子はかわいそうだ
しかし、今1番苦しんでいるのは自殺した子供ではない
今現在いじめられている子だ
その今いじめられている子にこの報道はどんなメッセージを残すか考えているのだろうか?
「自殺すれば自分に代わってテレビでこんなにバッシングしてくれるんだ」
自殺すれば自分の代わりにマスコミが復讐してくれる
小中学生の思考力ではそうゆう風に感じる子が必ず出てくるのだ
だから、このいじめ報道以来次々に自殺者が出てるのだ
第2第3の自殺者はマスコミが作ったものと言っていい
マスコミがやるべきことはいじめた者をバッシングすることではなく
いじめられても死ぬことは絶対にダメなのだということを示すこと
死んだって復讐になんてならないのだ
生きていればもっと違う方法で見返すことはできる
中学のとき俺のクラスにもそんなにひどくはないがいじめられてるやつ(A君)がいた
いじめられる理由は勉強はできなかったしいつも服とか汚かったからだろう
俺はそうゆうのは気にする人間ではなかったので何度か遊んだこともあったし
そうゆうやつは修学旅行などで班からあぶれるので俺の班に入れたりした
あいつに構うなよとか言ってくるやつもいたけど
中学ではクラスの番長みたいな存在だったので
俺が近くにいる間はいじめたりできない
まぁ積極的にかばったとかいうヒーローではなかったけど
そいつを俺がいじめる理由がなかっただけ
そうやって接しているうちに、なんかこいつ面白いなってことに気づいた
笑いのセンスみたいのを感じた
秋になって文化祭の時期になった
うちのクラスではステージで劇みたいなことをすることになった
当然のように俺が中心になって内容や演出を考えることになる
笑いのあるコントみたいな劇をやろう
俺が考えたのは赤ずきんちゃんのパロディだった
まぁ中学生の発想だからこんなもんだ
俺が台本を書いて配役を決める
そこで俺が主役に指名したのはA君だった
赤ずきんちゃんに女装してもらって色々やってもらうことにした
みんな驚いたようだったけど俺が決めたことなので特に異論もなかった
結局その劇は大爆笑に終わり大成功だった
A君は見事にその役を演じ笑いをとった
その後いじめというようないじめはほとんど無くなった
その頃番長のように偉そうに仕切っていた俺は今はこんな最下層にいる
A君は今何をやっているかわからないけどたぶん普通に働いているだろう
人生なんてこんなもんだ
死んだら終わり
一番報道すべきことはそれなのだ
非道に思えるかもしれないが
いじめを苦にして自殺するなんてなんてバカなんだと批判するくらいしてもいい
一番守るべきは死んだ子ではなく今現在いじめられている子なのだ
その子たちに間違ったメッセージを送らないでほしい