ミキティ熱愛発覚

本当に最近のハロプロはネタに尽きないね
もう何があっても驚かなくなってきた
というよりも俺はもうハロプロという括りでヲタをやっていないんだと実感した
俺はベリーズ工房、そしてみやびちゃんのヲタなのであって
モーニング娘やその他に何があっても他人事にすら思える
それほど他のハロプロには醒めてしまっている
ミキティは俺の元推しメンの一人だ
この日記だって夏焼雅嗣永桃子中心なんて書いてるけど
3,4年前までは高橋愛藤本美貴松浦亜弥中心だった
その時こんな恋愛騒動があったらかなりのショックだったんだろうけど
今は全くのノーダメージ
こうゆう恋愛騒動に俺が巻き込まれたのはあややの時だった
そのときの日記を読んでみた
http://d.hatena.ne.jp/bejichan/20050303
もう2年以上前なんだなぁ
あの時は本当に強がっていた
最後にこう書いてある

今回の件で俺の好きだったアイドルサイボーグ「あやや」は終焉した
これからは一人の人間「松浦亜弥」として応援していこうと思う
あややではなく松浦亜弥として応援していく
この意味が自分でもまだはっきりと掴めていないがニュアンスだけはわかってもらえると思う

それから俺がどうなったのかはご存知の通り
現在あややは推しのトップ20に入るかどうかだろう
気持ちが離れるとそんなもんだ
今回の件でもヲタ界では賛否両論ある
こうゆう問題が出ると必ずアイドルと恋愛の是非が議論される
その議論はいつも中途半端で説得力が薄い
恋愛肯定派はいつも言う
「アイドルだって女の子なんだから恋愛くらいする」
だけどその恋愛っていう言葉の定義が曖昧な気がする
一人の人間として女の子として人を好きになることは誰にも止められない
そこまでを否定する人は少ないだろう
でも、その次の段階は絶対に止められないものだろうか?
つまり交際するということについてだ
誰かを好きになっても自分はアイドルなんだからと交際までは我慢しよう
好きになるということとお付き合いをするということとは全然レベルが違うのだ
じゃなぜそこまでして交際を我慢しなければならないのか?
それはアイドルだからだ
この理屈が気に入らない人が結構いるみたいだが
アイドルだからダメなのだ
そこは絶対に譲らない
アイドルはファンがいることによって成り立っている
そのファンはアイドルに対して擬似恋愛的な感情を多かれ少なかれ持っている
自分は違うという人がいればその人はアイドルとして応援しているわけじゃないということだろう
完全に片思いではあるが好きという気持ちは絶対にある
その子には交際している男がいた
リアルの恋愛に置き換えてみればすぐわかる
ずっと片思いだった子に彼氏がいたのだ
ショックじゃない男なんているだろうか?
それを同じこと
自分で勝手に片思いして勝手に振られるのだ
アイドルはファンに擬似恋愛をさせて成り立つのだ
だから、握手会があるのだ
写真やその他のグッズがあるのだ
ハワイツアーなどで2ショットポラがあるのだ
そこを否定する意見はハロプロのイベントやグッズが成り立たなくなる
そうであるならアイドルの恋愛発覚というのは
つまり、擬似恋愛中のファン全員をまとめて振ったということなのだ
これではアイドルとして成り立たない
振られたファンはそりゃ落ち込むし自棄になるし文句も言うのは当然だ
その感情はごく自然なものなのだ


アイドルはファンに擬似恋愛されることで成り立つ
アイドルの恋愛発覚はその擬似恋愛関係を壊す
だからアイドルは恋愛してはいけない


なにかこの理屈はおかしいですか?
恋愛できないなんてかわいそう?
じゃあアイドルなんて辞めればいい
アイドルでなければ恋愛なんてし放題だ
だけどそこまでの犠牲を払ってでもアイドルになりたかったんじゃないのかな?
恋愛なんて我慢してでもアイドルになることが夢だったんじゃないのかな?
少なくともオーディションを受けた時はアイドルになるという夢はそれくらい大きかったはずだと信じたい
そしてそのアイドルは誰もが簡単になれるものじゃない
ほんとうにごく限られた人にしかできない仕事
もう一度それを考えてほしい
そして、それでもどうしようもなくなることもあるだろう
アイドルも人間だ、片思いで我慢できなくなることもあるだろう
お付き合いもしたいしセックスもしたくなるだろう
そのために最後の保険をかけてある


アイドルの恋愛「発覚」はその擬似恋愛関係を壊す


この「発覚」という言葉は最後の最後の砦
ファンに知られなければ擬似恋愛関係は壊れずに維持される
「アイドルは恋愛をするな」これが大前提
だけど、本当にどうしようもなくなった時
「アイドルは恋愛しても発覚させるな」
これが限界
この限界を超えたときアイドルは単なる女になる