アイドル恋愛肯定派

アイドルの恋愛騒動があるとこうゆう人たちが現れる
「アイドルも人間なんだから恋愛したっていいじゃないか」
「俺は○○ちゃんにはいっぱい良い恋愛してほしいよ」
そんな言葉を平気で言う人がいる
俺には到底信じられないことだ
なぜアイドルは恋愛したらいけないのかについては前日に日記で書いたので省く
恋愛肯定派は大抵がアイドルへの擬似恋愛を否定してる人が多い
でもアイドルって擬似恋愛要素を全くなしで応援できるものなのだろうか?
俺はアイドルファンは多かれ少なかれ擬似恋愛してると思っている
俺の擬似恋愛の定義は簡単だ


「応援してるアイドルに異性を意識しているかどうか」


つまり、推しメンに対して異性としてかわいい、応援してる、好き
という気持ちが少しでもあれば擬似恋愛だと思う
つまり、擬似恋愛をしていないと言い切れるのは女ヲタといわれる人たち
同姓の彼女たちはレズビアンでない限りは擬似恋愛ではなく憧れだと言える
そして、擬似恋愛を否定する人たちに多いのが
「自分は彼女たちの歌やダンスが好きなんだ」
「自分は彼女たちを自分の子供のように応援してるんだ」
そうゆう人たちだ
まぁそうゆう人たちが絶対にいないとは言えないので
もし本当にその気持ちだけで応援しているのであれば
擬似恋愛を否定するのは問題ないし恋愛肯定派であるのは頷ける
ただ、大部分のヲタはその分類には入れないはずだ
では、他は何なのか?
後は今問題になってるのは推しメン以外なので好き勝手に言える人たち
彼らは当事者になればその主張ができるか疑問
そして、1番はその当事者なのだ
自分の応援してきたアイドルに恋愛発覚したときに
できる行動は2通りしかない
「認める」か「離れる」か
今まで何年間も応援してきたアイドルだ
ショックではあるがすぐに気持ちが離れることもできずにいる
その結果「認める」のだ
認めるというよりも認めるしかできないのだ
苦渋の決断
俺のあややのときの心理はそうだった
急に嫌いになんてなれるわけがない
これからもヲタでいたい
そうであるなら恋愛しててもいいじゃないかと思うしかない
そうやってなんとか自分を説得する
恋愛したっていいじゃないか!
俺は恋愛してようと男がいようと応援続けるよ!
これが一時的な恋愛肯定派になる
だけど実際はその気持ちは長続きしない
なぜかわからないが時間が経つとその強がりは
自分の中であっさりと冷めていく
その瞬間に擬似恋愛は終わる
つまりアイドル恋愛肯定派というのは
アイドルを本当に全く異性として見ずに応援している人か
擬似恋愛を無理やり続けようと強がっている人
の2種類なんだと思う
前者は対象が本当にアイドルである必要があるのか俺には理解できないし
後者はよくわかるが一時的にすぎない
最後にもう一ついたわ
モーニング娘はアイドルじゃないという人たち
アイドルじゃないんだから恋愛も自由
彼らは今話題の山口県光市の母子殺害事件の被害者の本村さんに対峙した
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