それでもボクはやってない

久々にいい映画を見た
最初から最後まで一瞬も見逃せない組み立てが見事だったと思う
そして、内容はリアルである
見終わった男のほとんどが思うだろう
もう電車に乗りたくない、と
人間はどこかで真実は証明されるものだと思っている部分がある
なので、痴漢に疑われてもやっていなければやっていないと言うのが当たり前だ
そして、やっていないのだからやっていないということを信じてもらえるはずだと思っている
だけど痴漢は違う
この人に痴漢をされたと言われたらやっていないということ証明しなければならない
もちろん被害者の言葉だけでは不起訴になることも多いようだが
とにかくやっていないということを証明するのはやっているということを証明することより
はるかに難しい
この映画では様々な要素を考えさせられた
そもそも主人公がフリーターじゃなければどうだったんだろう?
被害者は女子中学生じゃなければどうだったんだろう?
この人の設定が確実に関係してると思う
被害者がおばさんだったらたぶん違う話にいってそうだ
そして途中に同じ冤罪被害者の協力者が登場する
この人たちの協力がなければこんなには戦えなかっただろう
もちろん家族や友人や弁護士の力も大きい
自分が1番気になったのは家宅捜索されてアダルトビデオが出てきたシーン
アダルトビデオなんて男の家に1個や2個はあるもんだ
その中に痴漢物があった
それがかなり印象を悪くしたように思える
俺の部屋にももちろんいっぱいある
パソコンにもエロ画像はいっぱいある
ジュニアアイドルのDVDなんか見つかったらイメージは最悪だろう
映画の結末は予想外のものだった
判決は有罪
無罪を前提に映画が進んでいるなかで警察の取調べや裁判制度の難しさが立ちはだかり
それでも再現ビデオなどで逆境を跳ね除けて無罪を勝ち取る!みたいな結末を
みんなが望んでいたんだと思う
だけど有罪だった
ここにある種のリアリティを担保したんだと思う
何度も出てきた99%有罪になるという言葉
それが現実になっただけなのだ
映画だからそのわずか1%の奇跡が起こるほうがおかしいのだ
だけどすっきりしない気持ちで終わってしまったのは俺も同じ
この映画は実は結論を出していない
客観的に見れば実はそんなにおかしい判決でもない
映画として色んな状況を見れるし無実だと思って見てるからおかしく感じるという部分もある
そもそもこの主人公は無実なのだろうか?
映画なので彼の本心が聞ける
「それでも僕はやってない」
有罪判決を受けたときにそう心で言ったのが真実
映画だから聞ける神の声だ
だけどそうであるなら犯人は誰なのか?
隣の男だと主張することは否定された
確かにおかしい部分がある
じゃあそもそも痴漢なんてされてなかったのか?
被害者が嘘を言っていたのか?
記憶が曖昧だったりするシーンはあったが嘘を言っている感じではなかった
じゃあ痴漢ではなくバッグが当たったなど被害者の勘違いだったのか?
その可能性もあるけど犯人の手をつかんで云々のくだりがおかしくなる
結局、客観的に見るとこの主人公は怪しいことは怪しいのである
この曖昧さを残してる部分がまたうまい作り方なんだろうと思う
個人的にはこの続編が見たい
このまま有罪で終わるとは思えない
たぶん2審ではもっと頑張るはずだ
この映画は色んな教訓の残してくれた
電車に乗るときは絶対に手を上にあげておくべきだ
そして、もし痴漢だと無実なのに疑われたら
無実なんだから説明すればわかってくれるだろうなんて思わないこと
駅員にでも免許や名刺でも渡して身分証明をして後は弁護士を通してくれと言えばいいようだ
あとは家宅捜索されてもいいように変なものは処分しておこう
俺はこの映画を見てパソコンに入ってた最終痴漢電車だかっていうエロゲを消した